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私の菜根譚 バランスシート

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   植物園に勤めれば、いつも心は美しくなる。
   美術館に勤めれば、いつも心は優雅である。

   故に、こういう人は、時々は道頓堀や通天閣を歩き、心を中庸に整えなさい。
   いつも道頓堀や通天閣ばかり歩いている人は、時々は植物園や美術館へ行きなさい。

{原文}
   散歩於山林泉石之間、而塵心漸息;
   夷猶於詩書図画之内、而俗気潜消。
   故君子雖不玩物喪志、亦常借境調心。
                              (菜根譚 後45)
{訳}
   山林や泉石の風雅な世界に悠々と遊んでいれば、俗塵にまみれた心は清められる。
   詩や書画にゆったりと心を遊ばせていれば、俗気に染まった心も消え去る。

   故に、君子は俗事に心を奪われてはいけないが、一方で常に俗事を借りて心を整えることも必要である。

{さすが}
   はりまや橋でかんざしを買ったお坊さんは高僧に違いない。

写真は「はりまやばし」。
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そんなに簡単でない

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   忘れたい事があればバーゲンセールへ行き、思い出したい事があればお寺の境内を散歩しなさい。

{原文}
   時当喧雑、則平日所記憶者、皆漫然忘去;
   境在清寧、則夙昔所遺忘者、又恍璽現前。
   可見静躁稍分、昏明頓異也。    (菜根譚 後38}
{訳}
   繁雑な時は、ふだん覚えている事など、皆忘れてしまう。

   清らかな所にいると、とっくの昔に忘れていた事が、ぼんやり現れてくる。

   周りが静かか騒がしいかによって、はっきりするかぼんやり現われるかの分れ目だと知れ!


{どうしてくれる!}
   バーゲンセールへ行ったが財布を持ってくるのを忘れたし、お寺でいくら歩いても暗証番号は思い出せなかった。

写真は、寒いのにまた咲き始めた鉢植えのダリア。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

私の菜根譚 楽もいろいろ

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   寿司やの活けすの魚は、広い水槽でたとえ十分酸素を吸えても、先がとても恐い。
   わが家の水槽の金魚は、狭い水槽で吸う空気はわずかだが、皆可愛がってくれる。

{原文}
   趨炎附勢之禍、甚惨亦甚速;
   棲恬守逸之味、最淡亦最長。     (菜根譚 後22)

{訳」
   権勢に、寄り従う事によって生ずる禍は、甚だ悲惨で逃げる間もない。

   無欲をわが住み家とする生き方は、とても淡泊な味わいがあり、楽しみも多い。

{楽と苦}
   楽せんと楽する楽は楽ならず、楽は苦の種、苦は楽の種。

写真は今日収穫したにんじん。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

私の菜根譚 自然の中にすべてがある

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   辺境に住む自然村の人達は、パソコンもケータイも知らないが、森や野の恵に満足し、綿で織り刺繍をした民族衣装を誇りとし、歌や踊りで世を楽しみ、訪れた別の世界の人達から羨ましがられる。

{原文}
   田父野叟、語以黄鶏白酒則欣然喜、問以鼎食則不知;
   語以温袍短粗則油然楽、問以礼服則不識。
   其天全、故其欲淡、此是人生第一個境界。        (菜根譚 後102)

{訳}
   田舎の素朴な年老いた農夫は、日常の鶏や白酒の話をすると喜ぶが、山海の珍味について尋ねると知らない。

   粗末な綿入れや麻織りの粗いシャツの話をすると悠然とくつろぐが、華やかで美しい貴人の礼服などは知らない。

   これは自然のままだがすべて有り、故に欲も少なく、これこそ人の生きる最高の境地である。

{帰去来辞}
   帰りなん、いざ。田園まさに荒れんとす。なんぞ帰らざる。(陶淵明)

{道は自然に法る}
   草木の生えるのも、春夏秋冬の移り変わりもすべて自然に法る。人の行う道もこれ也。(老子)

写真は中国昆明の蓮花池。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

私の菜根譚 はかない

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   シーズンが終わり我にかえった時、汗をかきかき大声で六甲おろしを歌った日々のはかなさを知る。

   レースが終り手にした馬券を眺めた時、赤鉛筆で塗られた競馬ブックの○×△▲が何とはかない労働であったことよ。

{原文}
   樹木至帰根、而後知華萼枝葉之徒栄;
   人事至蓋棺、而後知子女玉帛之無益。
                    (菜根譚 後78)
{訳}
   秋、木の葉が落ちて根に帰った時、枝葉が茂り花が咲いた往時の事は、今となっては一時の繁栄だった事を知る。

   人は、ひつぎの蓋が閉じられた時、子供達や営々と築いた財宝もはかなく無益であった事をやっと知るのだ。

{一休禅師}
   生まれては、死ぬるなりけりおしなべて、釈迦も達磨も猫も杓子も。

テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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