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史上初の地震計

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 紀元138年春のある日、後漢の順帝は都である洛陽の宮殿で百官を集め朝礼を執り行っていた。そこへ張衡という名の大臣が順帝の前にひざまずき上奏した。

「先ほど、西の方面で大きな地震が起こりました。被害はとても甚大だと思われます。どうか人を派遣し罹災民を慰問して下さい」と願い出た。百官達は畏れ多くも何の根拠をもって地震だなんて言えるんだ?と一斉に非難の目を向けた。

順帝;「その地震の確かな情報はいつ頃ここへ届くのか?」
張衡;「三日後に必ず使者が助けを求めてやってきます。もし違えば{欺君之罪}を覚悟しています」

朝礼が終わり家に帰って来た張衡に同僚や友達たちが心配してやってきた。そこで張衡は彼らを庭に面した一室に案内した。そこには銅製の「地動儀」と言われる地震計が置かれていた。

 それは写真のように8匹の竜の頭の下にそれぞれ口を開けたカエルが置かれている。竜は口にをくわえており、地震が起こると、内部の振り子が働いて、震源地の8方向を向いた竜が、カエルの口に玉を落とす仕掛けになっている。

 現在西面の竜の口から玉がカエルの口に落ちているでしょう。これは西の地方に地震が発生した事を示していると説明した。

 集まった人達はなるほどと納得したが、本当に三日後に救援を求める使者が来るかどうか心配していた。

 二日目が過ぎ三日目も日が暮れたが依然として使者が来なかった。人々は張衡が罰を受け殺されると本気で心配しだした。そこへ朝廷から呼び出しがあり、百官が居並ぶ中で順帝に拝謁した。

 順帝;「今、使者が来て西陵地方に大地震が発生したと報告があった。三日前にお前が言ったあの時刻だ」と語った。そして順帝は急遽救援隊を派遣した。

 事が収まったある日、順帝は大層な恩賞を彼に与えようとしたが、官人たちの妬みを恐れ一切を受けず野に帰りそこで百姓をしながら一生を送ったそうだ。

 なお、伝記によると張衡は大変聡明な科学者で、数々の発明や創造を成し遂げた古代中国第一級の人物だとのこと。

後漢書 張衡伝}より 写真は最近復元された「張衡の地動儀」
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テーマ : 歴史小説 - ジャンル : 小説・文学

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